山科・花山稲荷に伝わるお火焚祭と名刀 子狐丸のお話
はじまり はじまり
みなさんは、山科・花山稲荷に伝わるお火焚祭や名刀小狐丸のお話を知っていますか。
今から 千年程前のお話です。
京の三条粟田口に三条小鍛冶と呼ばれていた刀鍛冶の六郎宗近が住んでいました。
宗近「藤原家が摂政になられて久しく平和な世になり、刀の注文も減ってしまったのおー」
宗近「これでは刀鍛冶では、食べて行けそうにない。包丁や鎌でも作って暮らして行かねば、仕方がないだろうなあー」
仕事もなく困っていたそんなある日のこと、立派な身なりの公家さんが訪ねてきました。
公家「あなたが刀鍛冶の六郎宗近殿ですか。良い刀を打っていると世間が認めているあなたに今回、帝から「国家鎮護」の為の刀を打てと命が下りましたぞ。お喜びなされ。」
宗近「それは名誉なことですが、私の力量では、そんな大それた仕事は無理でございます。」と断りました。
それから三日後、また公家さんが現れました。
公家「帝は、国家鎮護の刀でなくてもよい。普通の刀、しかし、美しい刀を鍛えてくれと命じられましたぞ。」
と帝のことばを伝えました。
宗近「それでは、引受させて頂きましょう」と答えました。
六郎宗近は、これは日頃信心している山科の花山稲荷大明神様のお陰だと思いました。
そこで、身を清め次の朝早く東山の裾を通り汁谷から阿弥陀ヶ峰の北を通り、西山科の花山稲荷大明神にお参りに行きました。
お参りを済ませた六郎宗近は
宗近「良い刀を鍛えるには今の鍛冶場は少し手狭だ。
炉を築く為にフイゴが必要だが、どこかに良い粘土はないだろうか。」
宗近「フイゴの吹き口を固定するには良い粘土がいるのだが・・・・・・。」
そのつぶやきを通りがかったこの神社の宮司さんが聞き
宮司「何をなさるのか知らぬが、この神社のある御山には良い粘土がでますぞ」と話しかけてきました。
宗近「それは良いことを聞かせていただいた。
鍛冶場を作りたいのですが、この御山に作らせていただいても良いでしょうか」
宮司さんの許しをもらった六郎宗近は鍛冶場を作り、良い刀が打てます様にと一心に花山稲荷大明神に祈りました。
次の日、朝から炉に火を入れ、玉鋼を熱しますと、どこからともなく、三人の童が現れ、
童「相槌を打たせて頂きます。」といいました。
宗近「それは有り難い。相槌をお願いしよう」
硬い玉鋼は熱せられ、叩かれ、延ばされ、鉄と重ねられ、叩かれて刀の形になります。
六郎宗近がトンと打てば、一の槌がテン、二の槌がチン、三の槌がカン。
トン、テン、チン、カン、
トン、テン、チン、カン、(だんだん早く)
トン、テン、チン、カンと
三人の童の相槌は見事なものです。
早々と見事な刀が打ち上がりました。
六郎宗近が荒砥をすると、思った以上の見事な出来栄えでした。
宗近「これは、いい出来じゃ。さて、三人の童の相槌殿には沢山のお礼をせねばならぬのー」
しかし、昨日までいた相槌の三人はどこにも見当たりません。
宗近「さて、三人の童殿は、何処へ行かれたのじゃろう。」
取り敢えず、花山稲荷大明神様にお礼のお参りをせねばならぬと神社へ参りました。
六郎宗近がお参りをすませると、拝殿前のお稲荷様のお使い、命婦様に目が行きました。
宗近「はて、左に居られる命婦様は紺三と名乗って居られた童殿にそっくりじゃ、
おお、右の命婦様は紺二と呼ばれていた童殿にそっくりじゃ。
そうか、花山稲荷大明神様が命婦様を遣わせてくださったのか、有り難いことじゃ。
ところで紺太と名乗っておられた童殿は、どこに住んでおられるのじゃろうー。
そうか、この花山稲荷のお山に住んで居られる太郎狐様に間違いない。これも皆、花山稲荷大明神様が取り計らって下さったのか、有難や有難や
太郎狐様には好物の麦粉を練って伸ばし、エゴマの油で揚げた策餅をたくさんお供えせねばならぬのー」
研技師や鞘師から戻った刀は、刃形は云うに及ばず、すべてがほれぼれする様な出来栄えでした。
宗近「この刀なら、帝に納めても恥ずかしくないな」
宗近「そうだ。相槌を打ってくれた童殿にちなんで、「小狐丸」と名をつけよう。」
こうして、小狐丸は帝の元に届けられ、宗近はたいそうなご褒美を頂きました。
その後、この名刀を作った六郎宗近が築いた炉とフイゴを見たいと鍛冶屋たちが遠くから集まってきました。
花山稲荷はこの故事をお火焚祭に取り入れました。
こうして、いつしかこの名刀の匠の技を称えて火焚串をフイゴの形に組み、火を焚いてお祭りするようになりました。
これが今に伝わる「花山稲荷のお火焚祭」の始まりです。
勢いよく燃え上がる火に、橘の実を入れ病にかからぬようにお祈りしました。今では、橘の代わりのミカンを入れて、病にかからぬように、いただきます。
みなさんも、お火焚祭の時にお参りをしてミカンを頂きませんか。おいしいですよ。
おしまい